ヴィディン
ヴィディン位置
ヴィディン市は北西ブルガリア、セルビアとルーマニアの国境に近いドナウ川の港町です。
ヴィディンの名所
ババ・ヴィダ要塞:ドナウ川沿いにローマ帝国時代の要塞を基に10世紀に建てられた ババ・ヴィダ要塞はブルガリアでほぼ完全に保存された唯一の要塞です。10−11世紀の ビザンチン帝国との戦争でババ・ヴィダ要塞は8ヶ月も続いた包囲攻撃に耐えられたと 言われています。14世紀後半にヴィディン市を中心にブルガリアから独立した ヴィディン王国ができ、ババ・ヴィダ要塞は大幅に拡大・強化され、外形が現在の形になりました。 1393年に当時のブルガリアの首都ヴェリコ・タルノヴォを始め、ほとんどのブルガリアの地域は オスマン帝国に支配されましたが、ヴィディン市は更に3年間自由を守りました。 ヴィディン市役所が 作ったヴィディン紹介ビデオをご覧ください(説明はブルガリア語、字幕は英語):
ヴィディンの伝説
ババ・ヴィダについて様々な伝説が有ります。その一つは次の通りです: 昔々二人兄弟と二人姉妹が一緒に暮らしていました。しかし、いつもけんかして、 やがて別々に暮らすことにしました。一人一人は自分の町を作りました:長男のガムゾはガムゾグラッド、 弟のコスタはコストグラッド、クラお姉さんはクラ市、そして末っ子のヴィダはヴィディン市を建てました。 二人の姉妹は町の管理が良くて、クラとヴィディンの町にはどんどん人が集まって、 大きい町となりました。一方、二人の兄弟は仕事ばかりをやっていて、町が大きくなりませんでした。 長男のガムゾは大好きなブドウの畑に全力をつくし、現在でも有名なブルガリアワイン種類の ガムザを作りました。コスタは農業をやりましたがなかなかうまくいかず、朝から晩まで働いても 金持ちにはなりませんでした。
ヴィダはとてもきれいで、賢い女性でした。そのせいか、自分に合う旦那は見つからず、 結婚せず、そのまま年を取っておばあさんになりました。ある日、トルコの軍隊が近づいたと 言ううわさを聞いたババ(おばあさん)ヴィダは要塞を建てる命令を下しました。 ヴィディンの人々が全員集まって、強い要塞を作りました。そして、要塞をババ・ヴィダと名付けました。
以上の伝説はあまり歴史的な意味がないですが、ババ・ヴィダ要塞の美しさ とガムザワインのおいしさは確かです。
(ベログラッドチック)
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