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ブルガリア世界遺産

ボヤナ教会

首都ソフィア郊外のボヤナ地区に建っている2階建ての 教会堂は10世紀後半に建てられ、 その後、第2次ブルガリア帝国の下で13世紀に中央棟が加えられた。教会の壁に様々な時代 の壁画が重なっているが最も有名なのは1259年に描かれたフレスコ壁画である。フレスコ壁画 とは壁に漆喰(壁土)を塗り、その漆喰がまだ乾いていないうちに水または石灰水で溶いた 染料で描かく絵なのでやり直しが効かないため(失敗した場合は漆喰をかき落とし、 やり直すほかはない)、高度な計画と技術力を必要とする。13世紀のフレスコ画では240人の 人物像が描かれており、そのうち最も印象的なのは教会の建築に大きく寄付した貴族カロヤン (севастократор Калоян)とその妻デシスラヴァ(Десислава)、あるいは ブルガリア皇帝のコンスタンティン1世と皇妃イリーナの肖像画である。

マダラの騎士像

馬に乗った人(騎士)、猟犬、ワシとイノシシの姿を8世紀に浮き彫りにしたマダラの騎士像はブルガリア 北東部のマダラ高原にある。地上23メートルの高さに刻まれた縦2.5m、横3 mのレリーフはどのように 作成されたかいまだに不明である。馬の足元に横たわるライオンに槍を突き刺している、 ワシが騎士の前を飛び、犬が騎士の後ろに従っているという情景は、象徴的な形で戦勝を 描いていると見なされている。騎士像は8世紀のブルガリアの王様テルヴェルを描いている説がある。 テルヴェル王様はアラブ人の危機を予告し、巨大ライバルでありながらビザンチン帝国の首都 コンスタンチノーポルをアラブ人の包囲から救った。その結果アラブ人はアジアから ヨーロッパへの侵入が止められた。

マダラの騎士像にライオンも描かれていることから当時の ブルガリアでは野生のライオンが 有ったではないかという仮説もある。マダラの騎士像と直接関係はないが、ライオンについて面白い 伝説がある。

カザンラクのトラキア人の墳墓(墓)

紀元前3世紀に建てられたカザンラクのトラキア人の墳墓はブルガリアのほぼ真ん中にある カザンラク市の近郊にあり、トラキア人のロイゴスの地下型墳墓である。この墓は狭い回廊と 丸い埋葬室とから成っている。回廊は二つの軍隊の戦いで、埋葬室は葬儀の宴における トラキア人夫婦を描いた壁画で飾られている。その壁画にはトランペットに似ている楽器で 演奏している人や、ワインなどを運んでいる召使いの姿。トラキア人は馬をとても 大切にしていたことが分かっているので、壁画に描かれた馬はおそらくそこで葬られた ロイゴスの大好きな馬である。壁画の中心を占めているのは互いの手首をつかんだ ロイゴス夫婦の姿。永遠の別れの気持ちのこもったこの姿は印象的である。

スヴェシュタリのトラキア人の墳墓(墓)

スヴェシュタリのトラキア人の墳墓は、ブルガリア北東部に残る古代の墓地。 イスペリフ市(Исперих、Isperih)スヴェシュタリ村(Свещари、Sveshtari) の南西2.5 km. 1982年に小さい丘から発見された墓地で、紀元前3世紀に遡る。 当時のトラキア人の宗教建築の基本的な構造原理を伝えてくれる遺構である。建築上の装飾では、 多彩色の半人半植物女人像の柱と、彩色された壁画とが、非常にユニークなものとして目を惹く。 10体の女人像柱は、中央の玄室の壁に浮き彫りの形で掘り込まれたもので、 それに被さる丸天井には、半円壁画の装飾が施されている。こうした例は、 トラキア地方ではこれまでには他に見つかっていない。この墓地は、古代の地理学者 が言うところの、ヘレニズム世界やヒュペルボレイオスの世界に出会ったトラキア の一種族ゲダイ人の文化を伝える貴重な例証である。

イヴァノヴォの岩窟教会群

イヴァノヴォの岩窟教会群は、北ブルガリア、ドナウ川沿いのルセ市18km南に、 イヴァノヴォ村に近くにある。他のブルガリアの岩窟教会と違って、フレスコ画が よく保存されている。岩を刳り貫いて作られた聖堂などの建造物群は大きな修道院を成している。 この地方の洞窟群には、後のブルガリア正教会総主教ヨアキムが居を 定めた1320年代以降17世紀まで、修道士たちが住むようになっていた。 彼らは、僧房、教会群、礼拝堂などを硬い岩から切り出しており、修道院建造物群 はおよそ40もの教会群を頂点に戴いていた。その周りには、他の宗教施設用地が 300ほどあったが、そのほとんどは現存していない。修道院の建築物群の名声は、 その多くを13世紀から14世紀にかけてのフレスコ画に負っている。それらは 教会群の内の5つの教会に保存されており、中世ブルガリア美術の傑作として評価されている。

リラ修道院

リラ修道院(Рилски манастир)は、ブルガリア最大で最も著名な正教会の修道院。 リラの聖ヨハネ修道院、またはリラの僧院とも称される。修道院はリラ山脈の北西、 及び海抜1147メートルの高さにあるリラ川の深い低地にある、ブルガリアの首都ソフィア から117キロメートルに位置する。10世紀に創設されたリラ修道院は、ブルガリアにおいて 最も文化的、歴史的、建築学的に重要な遺跡の一つであると評価されている。こうした理由から、 ブルガリアとヨーロッパ南東部において、リラ修道院は観光客をひきつける要所となっている。

ネセバルの古代都市

ネセバル(ブルガリア語:Несебър、Nesebar)、あるいはネセブルはブルガリアの 古代都市であり、現在では海岸沿いのリゾート地となっているブルガス州の町。 ネセバルは3千年紀を超える長い歴史に裏付けられた、豊かな都市博物館である。 ネセバルか黒海で最も顕著な旅行先であり、リゾート地である。ネセバルには多くの リゾート拠点があるが、その中で最大のものは町のすぐ北に位置しているサニー・ビーチである。 ネセバルの古代都市は、細長い人口の地峡によって大陸部とつながった半島 (かつては完全な島であった)の上に築かれ、その地形ゆえに多くの異なる文明による 征服から逃れてきた。その豊富な歴史的建造物の存在により、ネセバルは1983年に UNESCOの世界遺産に登録された。

 

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デシスラヴァ
 ボヤナ教会フレスコ:
デシスラヴァ 
ボヤナ教会:天使
ボヤナ教会フレスコ:天使

マダラの騎士

マダラの騎士像
(写真:Nikola Gruev)

カザンラクのトラキア人の墳墓、壁画 カザンラク墳墓1 カザンラクのトラキア人の墳墓、壁画2カザンラク墳墓1

スヴェシュタリのトラキア人の墳墓スヴェシュタリ墳墓
(写真Nenko Lazarov)

スヴェシュタリのトラキア人の墳墓

スヴェシュタリ墳墓
(写真Nenko Lazarov)

イヴァノヴォの教会の壁画 イヴァのヴァの教会の壁画2イヴァノヴォ教会

リラ修道院リラ修道院
リラ修道院

リラ修道院
(写真:Nenko Lazarov)

ネセバルの古い教会の一つネセバル
(写真:Nenko Lazarov)